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「薬剤性精神障害」 P.217~219.



 
 真実3   精神科の薬の承認や販売許可のために政府が行う審査は極めて不十分であって、薬の効能も安全性も充分には確立されていない。
    間違った思い込み3
精神科の薬は政府がその効能や安全性を厳格に審査して承認,、許可したものなので、治療効果は充分あり、たまに副作用はあっても、危険なものは何もない。

新薬承認のための臨床試験
                  
 精神治療薬に限らず、新薬の販売を政府により承認してもらい、また健康保険の適応を受けるためには、製薬会社は臨床試験(治験ともいう)を行い、その結果を政府に提出して、その審査を受けなくてはなりません。新薬の候補となる物質を見つけたら、まず動物実験から始めます。その後ヒトへの投与試験が行われますが、ヒトへの投与試験は3段階に渡って行われます。 それぞれ第1相、第2相、第3相試験と呼ばれています。英語ではPhase1, Phase 2, Phase 3 trials (フェーズ・ワン、フェーズ・ツー、フェーズ・スリー・トライアル)と呼ばれていますが、この制度はもともとアメリカのFDA (Food and Drug Administratiom - 食品薬品局)が使い始め、それが日本やヨーロッパまたその他の国々に広まったものです。

 第1相試験では少数の健康成人男性に対して投与して、その薬の安全性を確認します。リスクを伴うので健康人の志願者を多く集めるのは困難なため、被験者は極めて少人数です。2006年に出版された、以下の臨床試験についての本には、抗精神病薬や抗がん剤はリスクが高いため、健康成人男性へ投与する第1相試験は免除されると書いてあります。しかし、抗精神病薬で第1相試験を行ったと主張する研究者の論文を筆者は見たことがあります。何が真実かわかりません。正確な情報がなかなか外部者には伝わらないという臨床試験の不透明性は大きな問題です。しかし第1相試験を行ったといっても、わずか数名の健常者にたいして、1日1回、3日間投与したといった規模のもので、とても長期に渡る安全性を確認したことにはなりません。危険を伴う仕事なので、被験者として健常者を募集するのは困難なため、製薬会社の社員を使って第1相試験をやっているという話を筆者は聞いたことがあります。第1相試験は薬の効能ではなく、安全性や副作用を調べるためのもののはずですが、こうなると第1相試験をどこまで信頼していいものか疑問が出てきます。統合失調症ではないのに統合失調症と誤診され、抗精神病薬を一生飲めと言われた患者に、その後どんな危険が待ち受けているか想像して見てください。ガンではないのにガンと誤診され、抗がん剤を一生飲めと言われたのに等しいのです。身の毛もよだつような残酷物語ですが、現実にそう言ったことが世の中で日常茶飯事のように極めて頻繁に起こっているのです。

                                         「臨床試験ハンドブック」 p. 27
                                               朝倉書店 2006年 
                                                   

 第2相試験では比較的少数の患者を対象として、薬の有効性や安全性が検討されます。また次の段階である第3相試験で採用する用法・用量が決定されます。第3相試験ではより多くの実際の患者に投与して、薬の有効性や安全性を検証します。ここでの大きな問題点の一つは、試験期間が短いということです。また試験期間の長さについての明確な規則やガイドラインがなく、薬によって試験期間はかなり恣意的に決められています。製薬会社にとって都合のよい結果が出るような治験期間がその都度選ばれているようです。抗精神病薬の場合は、第3相試験は4~8週間程度が選ばれることが多いようです。しかし精神科医は患者に対して、統合失調症は高血圧症や糖尿病と同じで、薬は一生飲まなくてはならないと平気で言います。わずか4~8週間だけ薬の安全性、すなわち薬の副作用や有害作用を調べたところで、その薬を一生飲み続けたらどんな有害反応が現れるかわかったものではありません。例えばベンゾジアゼピン系の抗不安薬は凡そ3ヵ月を超えて服用すると依存が形成され、薬をやめたくても、やめると離脱症状が出るため、やめることが困難なのですが。4~8週間の治験では、依存というおぞましい副作用が発現する前に治験は終わってしまいます。

 精神治療薬(向精神薬)の場合にはもっと大きな危険が潜んでいます。それは真実1真実2に関係する問題です。果たして薬が患者に有効に作用して、患者の心の中の障害が取り除かれたり、苦しみが軽減したかどうかは患者のみが知ることであって、精神科医にはあずかり知ることのできないものなのです(真実2)。血圧や体温を測ったり、心電図をとったり、X線、CTやMRIの画像で改善が見られたかといった客観的な尺度が精神科の場合には何もないのです。薬の有効性が客観的に確認できないことに加えて、もっと怖いのは薬の精神的な有害作用がまるで客観的に確認できないということなのです。薬の身体的な副作用については、客観的な指標を調べて、例えば4~8週間の間に現れた身体的な副作用をある程度知ることはできます。しかし精神的な副作用、有害反応は心の中のことですから、精神科医が客観的に真の姿を知ることは不可能なのです。

 精神科医がせいぜいできることとしては、被験者を面接し、その様子を観察したり、被験者に語ってもらうことぐらいしかありません。そこでrating scale (評価尺度)なるものが開発されました。スケール(目盛り)という言葉からわかるように、数字を使って定量的に評価結果を表現しようとするものです。治験薬を投与前、投与後、被験者と面接し、被験者を観察したり、被験者に質問したりして、各被験者について点数によるスコア・カードをつけます。薬を投与する前と投与後で数字の改善が見られれば、薬には効果があったと治験の審査員は判断します。

 rating scaleとして今までいろいろなものが開発されて来ました。例えば、世界中で幅広く使われているものとしてBPRS(Brief Psychiatric Rating Scale)と呼ばれている評価尺度があります。精神疾患全般をその評価対象としています。BPRSにもいくつかのバージョンがありますが、いずれも患者を見て、各症状項目について1~7点、0~7点といった風に7~8段階(スケール)で点をつけて、さらに合計点を出します。医師が被験者の患者に面接し、1患者につきせいぜい15分程度でスコア・カードをつけます。下記の文献リンクのpdfファイルの冒頭にContents(目次)とあり、その後に書かれている項目の一つ一つがrating scaleです。すべて英語で書かれていますが、それはほぼすべて外国で開発されたものであるからです。例として挙げたBPRSは、pdfファイルの最後の部分にその解説が載っています。

         「観察者による精神科領域の症状評価尺度ガイド」 改訂第3判 P.27
         (GUIDE FOR THE PSYCHIATRIC RATING SCALES BY THE OBJECTIVE RATERS)
                                      著 稲田俊也・岩本邦弘・山本暢朋    
                                           出版 じほう   2014年

 rating scaleはそもそもその主たる用途は、臨床試験で、この薬は、あるいはこの治療方法は効能や効果ががあるということを審査する側に証明するためです。精神科医が日常の患者の診察でrating scaleを使っているなどという話は聞いたことがありません。

 真実1真実2はいつでも有効です。医師が臨床試験で観察できるのは、あくまでも患者の外に現れた症状や患者の言葉による表白だけです。患者の心の中の本当のことは医師にはわかりません。面接は言葉を使って行われる訳ですが、患者は心の中で感じていることを言葉で表現できないことも多いでしょう。口下手で無口の人もいるでしょう。面接で患者の様子を見て、また患者の言うことを聞いて捉えた患者の外に現れた症状を、BPRSであれば18の項目に無理やり分類してスコア-をつけているのです。例えば患者は薬を飲んだ後、自殺念慮が生まれて、死にたいと思ったとします。でも患者はそんなことを口には出さないかも知れません。そもそもBPRSの18項目には自殺念慮という項目が入っていませんから、面接をした医師は自殺したいか、死にたいかなどと患者に聞くことはありません。従って極めて重大な自殺念慮という薬の副作用を捕捉することができないのです。

 BPRSの18項目のどれをとっても、患者の状態を数字で正確に評価表現することは極めて困難です。18項目で使われている言葉の解釈も各医師によって違うでしょう。BPRSはもともと英語で書かれたものを日本語に翻訳したものですから、英語国民がある言葉で意味することと、その日本語訳で日本人が理解することにズレがある場合があります。評価は客観的ではなく、主観的でかつ恣意的なものにならざるをえないのです。

 第3相試験となると、面接をしなくてはならない被験者の数が増えます。従って面接を実行する医師の数も増えます。医師間のバラツキが当然出てきます。前述書には日本語の表題だけではなく英語の表題もついています。英語の表題の方には「BY THE OBJECTIVE RATERS」(「客観的な評価者による」)という言葉が入っていますが、これは客観的で公正な評価をやっているということを読者に印象付けるために著者が挿入した暗示文句です。すべて医師の評価は主観的です。さすがに日本語で「客観的評価者による」と言うのはためらったようです。数学、理科、社会等どの科目でも、入学試験であれば、採点者が誰であっても、同じ点を出します。採点者によってバラツキがあるようだったら、そんな試験は誰も信用しません。そこで臨床試験では、評価者は、採点にバラツキが出ないようにするために訓練と称して事前打ち合わせをしています。データ操作する余地がたくさんある世界なのです。

 前述書には多種多様な評価尺度が記載されています。こんなにたくさん評価尺度が必要でしょうか?どの評価尺度にも固有のバイアスがあるはずです。これだけ多いということは、どの評価尺度を使うかで、総合評価の結果が異なってくることが考えられます。新薬の承認審査では、製薬会社の目的は新薬を承認してもらうことです。製薬会社に都合のよい結果が出るような評価尺度を選んで、それを使って治験薬の有効性を製薬会社は証明しようとするでしょう。製薬会社は合目的な行動をとります。

 全般的に言って、新薬の承認のための治験では、何とかその薬を承認してあげたいという審査をする人の側の深層心理も働いているように思えます。専門性の高い業務ですから、審査員は大学や研究所での勤務経歴があり、製薬会社側の人々と経歴が似ています。厳正な審査のはずですが、製薬会社側の人々に対して同情的になりがちです。

 今、日本で新薬の承認審査業務を行っているのは、独立行政法人医薬品医療器具総合機構
(Pharmeceuticals and Medical Devices Agency - PMDA)です。独立行政法人とはいっても、人事やその他の面で厚労省の支配下にあると言っていいでしょう。。2004年に設立されたもので、若い組織です。長い日本語の名前で言うのが大変なのと、アメリカFDAと発音が似ているために、略してPMDAとよく呼ばれています。PMDAが新薬の承認審査を行う時は、製薬会社が審査手数料をPMDAに払います。PMDAの収入の内、国庫から拠出されるのはごくわずかで、収入のほとんどは製薬会社や医療機器メーカーがいわばPMDAの顧客になっているのです。

      ロハス・メディカル 2009年5月9日(pdfファイル)

     元のウェブページはこちら
    http://lohasmedical.jp/news/2009/05/09165805.php?page=1
 


 そこには利益相反(conflict of interest)の構図があります。誰でも金を払ってくれるお客さんに喜んでもらいたいという心理が働きます。厳正な審査が影響を受けます。

 さらにもっと重大な問題は、新薬の臨床試験では、製薬会社が自らの費用で、自らの監督下で治験を行っているということです。 PMDAは金を出しません。PMDAは製薬会社が提出する治験結果を審査するのみです。治験の進め方を金を出している製薬会社がコントロールできます。製薬会社の望む結果が出るように、データ収集や解析上の操作ができる可能性もあるということです。対象とするのはなにしろ、身体症状ではなく、目に見えない精神症状ですから。

 製薬会社が直接治験を手掛けるのではなくCRO(clinical research organization)と呼ばれる企業が、製薬会社の下請けとして、製薬会社に代わって治験を実施することが最近多くなってきました。CROは非営利の団体ではなく、あくまでも営利目的の株式会社です。製薬会社から収入を得ています。治験の結果が薬の承認につながれば、製薬会社から高く評価され、将来その製薬会社からまた仕事をもらえるという動機づけが働いています。CROと呼ばれる企業の協会さえあります。

                           一般社団法人日本CRO協会 (Japan CRO Association)

 治験が行われる医療機関としては、大学病院や公立病院といった公共性の強い大規模な医療機関を私達は想像しがちですが、精神治療薬の場合、そういった公共性の強い医療機関だけではなく、個人経営の町の精神科クリニックでも治験が行われています。そういったクリニックでは、治験に参加した患者一人につきいくらという形で製薬会社、あるいはCROから手数料をもらっています。クリニックにとっては悪くない収入源になっています。そのクリニックの医師が、治験中は被験者の患者と面接して、rating scaleを使って患者の症状に点数をつけているのです。薬の承認につながるような、製薬会社に有利になるような採点をすれば、また製薬会社やCROから治験の依頼がくるだろうと医師が考えても、それは自然な心の動きです。

 治験そのものを製薬会社やCROにやらせ、製薬会社が提出してくる治験の結果を見るだけで新薬を承認するかどうかを決めるというやり方は、日本だけではなくアメリカでもヨーロッパでもやっています。日本はアメリカのFDAのやり方に右に倣えしたものと思われます。製薬会社に任せっぱなしにするのではなく、公正・中立で利害のからまない政府機関や第三者中立機関が、新薬を承認するかどうかを決めるための臨床試験を自ら実施すべきことでしょう。国家予算がそのために多少かかったとしても、国民の生命と健康がかかっている、国にとって優先すべき重大な仕事です。 アメリカやヨーロッパではそういった議論が心ある人達の中から出てきています。

 第1相、第2相、第3相の臨床試験にすべてパスすれば新薬を販売していいという許可が国からおります。薬価掲載も済ませて、製薬会社はその薬の販売を開始します。暫くその薬を患者に投与してみたときに臨床試験では気付かなかった副作用が現れたりすることがあります。そこで製薬会社は市販後副作用調査(PMS - post marketing surveillance)を行い、自発報告をすることになっているのですが、こと向精神薬についてはそういったPMSによるデータが存在しないという驚くべき状況があります。以下の本にはそういったものがアメリカにあると書いていますが、それは1966-1975年の間に実施された調査です。なんと40年以上前のものしかないのです。当時はなかった向精神薬が今、その後、あまた市場に出回っています。とてもこんな代物は現代においては役に立ちません。

                文献   「薬剤師のための医薬品副作用入門」 著 松原慶壮・大澤友二
                                              発行 じほう  2011年

 患者や患者の家族が、ある症状(身体的なものや精神的なもの)が服用中の薬の副作用だと思って、製薬会社に連絡しても、製薬会社はそういった訴えや話を聞いてくれません。医者からの報告でない限り製薬会社は服用者からの訴えや話を法律上、聞く必要はないと考えています。あくまでも薬を使用しているのは患者であって医者ではありません。真実1、真実2がここでも当てはまります。医者は患者の心の中がどう薬の影響で変化したかわかりません。従って、薬の影響で患者の心がどう変化したか、正しく理解して製薬会社に伝えることはできません。 伝えるためには言葉を使いますが、患者の心の中は言葉で表現するのは極めて困難です。医者にしてみれば、患者の訴えを言葉で書き記し、それを製薬会社にあるいは製薬会社の担当MR(Medical Representative) - 医療情報担当者ともったいぶった日本語を使っていますが、製薬会社が医師のもとに派遣する営業PRマン、営業PRウーマン - に伝達するのは極めて困難です。それは通常の診察業務に加えての仕事になりますから、そんな仕事を良心的な医師であってもやりたがらないでしょう。

 医師はやりたがらない、製薬会社は医師からの副作用情報でなければ受け付けない。八方塞がりの状況です。製薬会社にとっては副作用については「見ざる、聞かざる、言わざる」という方針でやるのが一番です。コンピューターを買った人が、コンピューターが不調であるとメーカーに電話したところ、それについては販売店に聞いてくれと言われたらどう思いますか?製品については、それを作ったメーカーが一番よく知っているはずです。どこのコンピューター・メーカーでも今はサポート・デスクとかヘルプ・デスクという部署があって、末端消費者の問い合わせに答えています。消費財のメーカーにはどこでも「お客様情報室」とか「お客様相談室」と呼ばれるような部署があります。製薬メーカーは薬の末端消費者を顧客とは考えていないようです。どの薬を処方するかの決定権を持つ医師が製薬メーカーにとっての顧客なのです。医師に対する自社製品のプロモーションには莫大な金を使っています。

 PMDAができてまだ10年かそこらです。今、日本で使われている処方箋薬の大部分が、PMDAができる前に、旧厚生省が、旧体制の下で販売許可を与えたものです。旧厚生省以来、多くの役人が製薬会社に天下っています。何故、製薬会社が厚生労働省(旧厚生省も含む)の天下りを受け入れるのか、当然何かうまみがあるからですね。厚生労働省は製薬業の育成と振興が目標であってはなりません。製薬業の育成と振興が必要であるならば、それは経産省(旧通産省)に任せればいいのです。厚生労働省のミッションはあくまでも国民の生命、健康、生活福祉を守るというものでなくてはなりません。同じ省が二足のワラジを履くことは、そこに利益相反が必ず生まれます。

 私が真実3精神科の薬の承認や販売許可のために政府が行う審査は極めて不十分であって、薬の効能も安全性も充分には確立されていない)及び間違った思い込み3(精神科の薬は政府がその効能や安全性を厳格に審査して承認許可したものなので、治療効果は充分あり、たまに副作用はあっても、危険なものは何もない。)7つの真実のリスト入れることにした理由は以下のことを精神科外来受診の時に経験したからです。

 最愛の人を自殺によって亡くした私は、地元の大型都立総合病院の精神科を受診しました。抗うつ薬については、その危険性について事前に本で読んで予備知識がありましたので、抗うつ薬は飲みたくないと医師に言ったところ、それでは抗不安薬はどうだと言われたので、何もわからないまま、それに同意して抗不安薬と、加えて睡眠薬を飲み始めてしまいました。 抗不安薬は商品名ワイパックス(一般名:lorazepam)、睡眠薬は商品名レンドルミン(一般名:brotizolam)で、二つともベンゾジアゼピン系と呼ばれる薬です。ベンゾジアゼピンについてはその後ネットや本で勉強して、、依存、離脱症状、その他様々なリスクがあることを知って、これは止めなくてはならない薬であると思いました。飲み始めて5~6ヵ月既に経っていましたが、薬が切れて来ると不安、焦燥感が現れ、イライラが強まり、同居する母親とよくケンカしました。激昂のあまり母親を傷つけたいと思ったこともありました。

 この時、この病院の精神科で私の主治医になっていたのは年配の医師で精神科部長という肩書で、ベテラン精神科医であったと思います。。この病院は大きな総合病院で、精神科の入院病棟も持っており、部下の精神科医と一緒になって、かなり多くの患者を診ていたはずです。

 私がこの精神科部長に薬、特にワイパックスを止めたいと言った時の彼の返事を今でも良く覚えています。彼はこう言いました。

 「政府の承認する薬に危険なものは何もないよ。70歳のお爺さんに飲んでもらっているけど、もう一生飲むんだねといっているよ。」

 この時の診察も、それまでいつもそうであったように診察は3分で終わりました。私が診察室を出ようとすると、端正なスーツを来た、二人の若い男女が入室して来ました。よく見ると二人とも胸には「ノバルティス」と書いたバッジをつけていました。 それは午後の2時か3時頃で、各診療科は患者の診察で医師は皆、忙しくしている頃です。この病院でもこの診察時間帯はMRの訪問を禁じるというルールがあったはずです。患者の診察は3分で終えて、MRと面会するとはどういう精神科医だろうかと思いました。


 ベンゾジアゼピンについては、老人になると肝臓における薬の代謝が衰えて来るので、服用量を半分に減らす必要があると日本の専門書にも書いてあります。ベンゾジアゼピンの副作用として、転倒や骨折が老人では特に多いとも専門書に書いてあります。なのにこの精神科部長は、70歳の患者にベンゾを一生飲めと言ってている。不勉強も甚だしいと思います。その結果苦しむのはいつも患者です。

ベンゾジアゼピンの危険性については、このサイトで後ほど、別途、多くのスペースをさいて説明しますので、是非そちらをご覧ください。そこでは、驚愕の事実が解明されています。

 臨床試験の話の最後に付け加えたい重要な一点があります。臨床試験では、被験者は対象となっている1種類の薬だけを服用します。他の薬を同時併用している人は、初めの被験者を選考するプロセスで排除され、そもそも臨床試験に参加できません。ところが実際の精神科の治療の場では、1種類の薬だけ処方されるのは少数派であって、大多数の患者は多剤を処方されています。1剤の服用量が、医薬品添付文書で決められた服用量上限を下回ったものであっても、多剤を服用していた場合、それぞれの薬の服用量を1つ1つ足していけば、全体として大量の薬を患者は服用していることになります。日本の精神科の多剤大量療法は悪名高い習慣です。そういった状況があるのに、臨床試験では1剤の対象となる薬だけの副作用を調べているのは茶番です。また臨床試験の期間がわずか数週間というのも、実際の薬の使われ方を考えない現実離れした設定です。新薬の承認を出し易いように、出し易いように臨床試験のルールが決められているのです。臨床試験というと科学的、合理的に行われ、臨床試験の結果は信頼にたるものと多くの人は思い込んでいますが、大きな思い間違いです。国民の生命、健康よりも、製薬会社の利益を優先するという、欺瞞に満ち溢れた現在の臨床試験のやり方なのです。


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