精神科の真実     


統合失調症


トップ 
 7つの真実
真実1の検証
 真実2の検証
 真実3の検証
 真実4の検証
 真実5 の検証
 真実6の検証
 真実7の検証
統合失調症 
うつ病
ベンゾジアゼピン
死にたくなる薬
 自殺の真相
人類史上最大の薬害
私の医療裁判
エピローグ
 このサイトについて
読者のコメント
























































































































































(注)
プレコックス感:
dementia praecox (早発性痴呆)とは1908年にスイスの精神科医のブロイラー(Bleuler)が精神分裂病(Schizophrenie)という言葉を使い始める前にヨーロッパで使われていた精神分裂病を表す言葉。
praecox(早発性という意味)という言葉だけを取り出して、プレコックス感などという言葉を、ドイツ精神医学の影響下で日本で言い始めたものと思われる。
分裂病患者に会った時に観察者が感じるいいようのない特殊な感情・感覚という意味で日本では使われるが、欧米ではこんな言葉は今使わない。これを基準に診断することは、独断と偏見に基づいた、主観的印象で患者を診断することになる。それでは正しい診断はできないとの考えでDSMが作られた。








































































(注2)インタビューフォーム
医薬品添付文書の情報をさらに補完するために製薬会社が作成するもの。添付文書と同様に、医薬品医療機器総合機構のウェブサイトで閲覧・ダウンロードできる。各製薬会社のウエブサイトでも医療関係者のリンク・ボタンをクリックすれば得られる。


















  誤診

 「こころの元気+」という雑誌があります。主に精神障害者を対象に発行されています。当事者と呼ばれる精神科の患者の立場にある人々の意見が毎号投稿されているので、精神科の現場で何が起こっているかを知るには参考になります。数年前、誤診ではないかと疑って、香川県の「ももさん」と名乗る読者から、以下のような投書が寄せられました。

      「こころの元気+」 2011年10月号

 幻覚も幻聴もないのに、統合失調症という病名が付けられて理解できないという内容の投書内容です。

 Psychosis(サイコーシス)という英語の言葉があります。欧米の精神科医にとっても、また一般の人々にとっても良く知られた言葉です。ところがこれには適切な日本語の訳語がありません。従って日本の精神科医の意識の中で、深く根付いていない概念のようです。弘文堂が2011年に発行した「現代精神医学事典」では、「精神病」という項目があり、そこでは「精神病」のことを英語ではpsychosis(サイコーシス)というと書いてあります。しかしpsychosisは「精神病」の事というのでは何のことか意味が曖昧です。精神障害(mental illness)はすべて広い意味では精神病です。

 欧米の言語ではpsychosisに対立する概念としてneurosisがあります。neorosisは英語ですが、ドイツ語ではNeurose(ドイツ語の発音ではノイローゼ)といい、日本語のノイローゼの語源です。日本はもともと精神医学をドイツから学びました。その時にNeuroseというドイツ語がそのまま日本語に入って来て、日常語でも言葉として定着しました。しかしそれに対立する概念、英語でpsychosis、またはドイツ語でPsychose(プシホーゼ)という言葉は日本語にどういう訳か入って来て定着することはありませんでした。

 正確に定義するのは難しいのですが、neurosis(ドイツ語 Neurose)は神経症と訳されることもあり、本人の精神状態が他者でも了解可能なものです。これに対してpsychosis(ドイツ語 Psychose)は幻覚や妄想が現れていると思えるような状態、また言っていることが完全に支離滅裂で他者には理解不能であるような精神状態です。それは他者には奇異で異様に思えます。日常使う日本語では、「狂気」「狂人」「気が狂った」「正気でない」と呼べるようなもの、またこれは放送禁止用語の一つであり、行儀のいい場では使ってはならないとされる言葉ですが、「気違い」と言えるような精神状態です。

 ある人を統合失調症と診断するためには、psychosis(サイコーシス)がその人にあることが第一条件です。DSMには幻覚・妄想以外で統合失調症の診断基準項目になるものがいくつか書いてありますが、「こころの元気+」の投書主の「ももさん」は投書の書き振りからいって、そういった基準に当てはまるとは思えません。幻覚・妄想、すなわちサイコーシスもないのに患者を統合失調症と診断するのは明らかに誤診です。

 念のため、DSM-5では統合失調症の診断基準をどう決めているのか見てみましょう。

 「DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル」
  統合失調症(99~105頁)
  医学書院 2014年6月15日

 「真実1の検証」で述べたように、精神科では、患者の外に現れた症状をもとに医師は診断をするしかありません。他の診療科なら、例えば、ガンであればガン腫瘍の存在を基準に、糖尿病であれば血糖値の値を基準に、客観的に診断を下せるわけですが、精神科の場合には医師の主観的な判断に頼るしかありません。統合失調症といっても、脳内でどんな生物学的変化が起こっているか正確なことは何も判りません。生きた患者の脳を開けて見るわけにはいかないからです。ドーパミンが過剰であるというのも仮説でしかありません。脳の中のドーパミンの量を測定すること現在のどんなテクノロジーを持ってきてもできません。DSM-5は、診断の共通性を維持するために、症状を頼りに、各種症状を分類し、症状群ごとにラベルを貼ったものに過ぎません。

 DSM-5には、「統合失調症の生涯有病率は約0.3~0.7%と推定される」と書いてありますが、この数字を計算する時に基となった、統合失調症の患者数はすべて、医師の主観に基づいた診断から出た数字ですから、DSMを使って診断したとしても確固たる信頼性のあるものではありません。しかも約0.3~0.7%という数字の根拠となった、具体的な元の調査データは何であったのかについての言及もDSM-5の厚い本の中にもありません。

 0.3~0.7%という数字は、DSMの作成に参加したアメリカの精神科医が持ち寄った、アメリカの統合失調症の患者データを基に算出したものと推定できます。誰でも簡単に統合失調症と診断してしまう日本で同様の計算をしたら、数字はまた違ったものになるでしょう。

 専門家及び素人向けに書かれた精神科の本に、統合失調症は100人に1人がかかることのあるありふれた病気と書いてあるものを時折見つけます。そういった本にも、そう主張する根拠となる調査データは何も示されていません。100人に1人がかかるようなよくある病気だから、統合失調症と診断されたところで、余り気にする必要はないよと、患者やその家族をなだめる効果があります。

 DSM-5の統合失調症を解説した部分には、「自殺の危険性」という見出しの下に以下のように書いてあります。

 「統合失調症をもつ人の約5~6%が自殺により死亡し、約20%が少なくとも1回自殺を試み、さらにずっと多くの人にはっきりとした自殺念慮がある。自殺行動は、その人自身または他者を傷つけよという命令性幻覚への反応であることもある。・・・」

 上記のパーセンテージ数字はこれもアメリカでの話です。ここでもこういった数字を算出した根拠となった原データは何であったのかについての言及がDSMにはありません。統合失調症の患者の生涯自殺率は4~13%gであるという記述も日本の専門書にはあります。また統合失調症患者の自殺企図(自殺未遂)率は25~50%と、DSMのいう20%をはるかに上回るとする日本の専門書の記述もあります。日本の精神科医は、外国と比べると、抗精神病薬を多剤で、大量に処方することは自他ともに認める所です。抗精神病薬によってドーパミンが遮断され、生きる喜びが失われれば自殺者の数が増えるのは火を見るよりも明らかです。統合失調症患者の自殺について正確で信頼できるデータが日本でもどこにもありません。そんな事を調べれば、精神科の悪さ、危険性が発覚するかも知れないという読みが裏にはあるとしか考えられません。

 真実7の検証で述べた、英国精神医学会誌(British Journal of Psychiatry)に載った、デービッド・ヒーリーらの研究論文が統合失調症患者の自殺について雄弁に物語っています。統合失調症という病気のゆえに自殺するのではなく、統合失調症と診断され、抗精神病薬を処方されたために、その薬の影響で抑うつ状態になり、人生に生きる喜びを感じられなくなり、その結果、死にたくなって自殺するのです。
 
 DSM-5にこういった記述をすることによって、自殺者が出た場合に、自殺者の遺族に対する説明が容易になります。統合失調症という病気が原因で自殺したと言っておけば、遺族は、そうだったのか、それはやむを得ないと思ってくれるでしょう。裁判になっても、裁判官も統合失調症という精神障害が理由で自殺したと判断するでしょう。そうすれば精神科で出した薬に嫌疑をかけられないで済みます。「自殺の危険性」という項目はDSM-4にはなかったのですが、DSM-5になって、どういう思惑からか挿入されています。

 日本精神神経学会が2002年に、それまで使われていた「精神分裂病」という言葉を廃止して、その代わりに「統合失調症」という言葉を使うという決定を下したために、日本では政府の公式文書のみならず、あらゆる場面で「統合失調症」という言葉が定着して使われるようになりました。統合失調症を英語ではschizophreniaと言いますが、これはschizo + phreniaと言う2語から成る合成語で、精神や心(phrenia)が分裂している(schizo)という意味です。スイスの精神科医のオイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)が、1908年ベルリンで開催されたドイツ精神医学会の年次大会で行った講演で初めて使い始めた言葉のようです。(ドイツ語ではSchizophrenie)。英語やドイツ語以外の他のヨーロッパの言語でも英語のschizophreniaと同語源の言葉を今でも使っています。「統合失調症」という別の意味を持つ言葉に換えたのは日本独特の取り計らいのようです。韓国では、日本と同じような変更がなされたとの話を聞いた事がありますが、私は韓国語ができないのでその真偽の程は確認できていません。

 呼称変更は、全国精神障害者家族連合会が日本精神神経学会にその変更を要望したのが契機となったと日本精神神経学会は言っています。日本中の精神障害やその家族の何パーセントが全国精神障害者家族連合会に当時加盟していたのか定かでありません。精神障害者やその家族の大多数がこの変更に賛成の意を表明したということではなさそうです。全国精神障害者家族連合会はその後不祥事もあって、解散し、現在は存在しない団体です。

 日本精神神経学会のウェブページでの説明をダウンロードしたもの
 2015年9月14日ダウンロード

 元のサイトはこちらです

 いずれにせよ、「精神分裂病」が「統合失調症」になって、精神科医は診断を下しやすくなったことでしょう。「精神分裂病」と呼ばれることには抵抗のあった患者や家族にとって「統合失調症」という言葉はより受け入れやすい筈です。

 「精神分裂病」という病名、診断名をつけながら、本人や家族にはその病名、診断名を伝えないケースが極めて多くありました。「統合失調症」と名前を変えた今でも、病名、診断名を本人、家族に伝えていない場合が数多くあるようです。「こころの元気+」の投書者も初めの医師からは統合失調症という病名を伝えられませんでした。病名を伝えない理由を精神科医が説明する文章を時々目にしますが、すべて言い訳めいた文章で、納得できるものにお目にかかったことがありません。インフォームドコンセントが云々される現代にあって、とても倫理的なこととは思えません。

 単に統合失調症と名前をつけるだけであるのなら、それはラベルの付け間違いであって、患者にとっては、運転免許証の取得ができない程度で、まだ実害は軽微なのですが、もっとも怖いのは統合失調症の治療のためと言う名目で抗精神病薬やその他の向精神薬を処方されることです。

 抗精神病薬は英語ではantipsychotic drugと言います。psychoticとはpsychosisの形容詞型です。anti~は~に対抗するという意味ですから、psychoticな状態と戦う薬という意味です。抗精神病薬を新薬として承認するかどうかの臨床試験の時に、薬の投与の結果、幻覚や妄想などのサイコーシスが消失したか、あるいは緩和されたかが評価基準です。サイコーシスのない人に抗精神病薬を投与することは無意味です。無意味な薬とその処方に出費することは本人や健康保険制度にとって無駄であるだけではありません。本人にとって、もっとも怖いのは薬の副作用です。また依存性のゆえに一生薬を飲む羽目に陥ります。離脱症状がありますから、薬をやめたくてもやめられないのです。

 でもこんなでたらめな診断と治療を受けて、人生を台無しにされても、日本では誰も助けてくれません。行政の最高責任者である厚生労働省も知らん顔、裁判にしても、裁判所は医師の診断は常に正しいものという前提で審理を進め、全く理不尽な判決を平気で下します。(「私の医療裁判」参照)。精神科医は誰に咎められることもなく、裁判にも負けることもなく、相変わらず診察を続けられます。正に精神科医はやり放題なのです。



「精神科セカンドオピニオン

 これは変だ、自分の子供は統合失調症とは思えないのに統合失調症と診断され、大量の薬を処方され、その薬の副作用に苦しんでいる子を持つ親に対して、ネット上で「毒舌セカンドオピニオン」という名のサイトを立ち上げ、援助の手を差し伸べたのが、四国松山の精神科開業医の笠陽一郎でした。彼と彼の信奉者が「精神科セカンドオピニオン-正しい診断と処方を求めて」(2008年)及び「精神科セカンドオピニオン2-発達障害への気づきが診断と治療を変える」(2010年)という題名の2冊の本を出版しました。この本について、知名度の高い精神科医である神田橋條治が「こころの科学」という雑誌に書評を書いてこれも評判になったのです。この書評の肝心の所を以下に引用します。

 「・・・ことに「統合失調症という病名には確たる証拠 ありませんし本質ていくつかの「あえずのせ集であり、どよわからないに毛が生えた程度の確かさなのです。本書に登場する誤診例の圧倒的多が「統合失調と誤診されているのは当然なのわからないで屑寵に入れのですが患者や家族はそのこと知りませんし当の精神科医も失念して診が確定したとじゃったのです。・・・」

    「こころの科学」143号 2009年1月
     ・ほんとの対話 114頁

 これは精神科医の弁解とも取れるコメントです。しかし精神科医の本音でもあります。真実1を考えると、こうなってしまうのは当然です。しかしこんな誤診に基づいて、薬を処方され、真実2によって、患者がどうなっても我知らずで、どんどんと薬を処方され、薬は一生飲むものだと言われ、薬の副作用で一生を、また命まで台無しにされた患者とその家族にとっては筆舌に尽くし難い悲劇です。しかも精神科に行けば、こんな悲劇に見舞われた患者だらけです。それが例外的なケースではないことは、上記神田橋條治の書評からの引用を注意深く読めば簡単に推察できます。社会もまた無頓着で、これは変だと言って、改革する気配を見せません。医師の免許を持った精神科医がそんな誤ったことをする筈はないと皆思い込んでいるのです。かくして人間の悲劇は、人類の悲劇は続いて行きます。海外でも同じことが起こっています。

 笠陽一郎と彼に同調する一部の精神科医によって自分の子供は救われたとする人々は多いようですが、この精神科セカンドオピニオンという動きも実は危うい基盤の上に成り立っているようです。統合失調症の診断について笠陽一郎のコメントが載っているあるウェブページを見つけました。どこかの掲示板に載ったものと思われます。2009年に見つけて、自分のPCに保存しておいたのですが、現時点でこのウェブページをネット上で捜しても見つかりません。その後このページはネット上から削除された可能性があります。このページに載っていた笠陽一郎のコメントを以下に引用しますが、情報源が定かでありません。このコメントは本人が言ったことではなく、誰か他の人がでっち上げたものであるということであれば、このコメントは今後削除します。

笠陽一郎医師からのコメント

哲学崩れさんによる「プレコックス感批判」は、勘だけで(?)仕事している僕には、厳しい批判である。しかし、彼の論は、まさに正論で、なんら反論は無い。
では、笠陽一郎流診断は、普段どうやっているか、正直に書いてみよう。

まず、診察室の窓から、駐車場を降りて来る患者さんの姿を垣間見ている。
どの席に座っていたか?どんな風に歩いて来ているか?
次に受付で、どんな入り方をするのか?
待合室のどこに座り、どんな風に時間を待つのか?
順番が来た時、どんな風に入って来て、どうやって椅子に座るのか?・・・
ここまでが、大体の診断である。あとの問診は、ついでの参考程度。

なぜ診察を重視しないのか?
もちろん軽視してはいないのだが、あてには出来ない。
医者の前で、どこまで本音が出るのか、出ないのか・・痛いほど知っているつもり。
20年、30年付き合っている人たちの妄想が、
診察室ではほんの一部しか聞けないのに対して、患者仲間同志では、
微に入り細に入り詳しく語られていたりする。
毎日、一緒に飯を食っているごかいの仲間ですらこうである。
いわんや、診察室の会話など、お笑い種である。

他に重視しているのは訪問である。了解があれば、必ず部屋を訪問する。
部屋は、雄弁に全てを語ってくれる。
僕のプレコックス感は、「接触不良感」でも「得体の知れなさ」でもない。
むしろ懐かしさを伴った「よう来たな」感のようなもの。
僕がコテコテの健常者に感じる苦手意識の真逆の雰囲気である。

哲学崩れさん、ちょっと誤魔化しの返事ですが、
微妙な部分はまた改めてゆっくり話したいですね。」

 これを読んだ時に、思わず「ブルータス、お前もか」と叫びたくなりました。自分の主観的な印象だけを絶対的なものとして信じ、自分の観察に客観性があるかどうかは初めから勘定に入れない態度です。「精神科セカンドオピニオン」の信奉者が忌み嫌う、従来の精神科医と全く変わりません。また笠陽一郎と彼の仲間の精神科医は患者は統合失調症ではなく、病名は「発達障害」であると盛んに言っているようですが、「発達障害」とは何のことか、明確な定義もなく、なんでもかんでも「発達障害」にしてしまっているように思えます。DSMでは発達障害という言葉は使われていません。統合失調症に代わって、「発達障害」という言葉が安易に使われ過ぎています。

 笠陽一郎と彼に同調する精神科医は、患者に対する薬の処方量を大胆に減らしました。その結果、患者にそれまで見られた薬の副作用が大分軽減されました。それはそれなりに大きな貢献であると思いますが、笠や仲間の精神科医はそれでも薬の効用をまだ信じています。天動説から地動説へのコペルニクス的転換ができていません。そこが真実6の検証で紹介したアメリカ精神科医、ピーター・ブレギン(Peter Breggin)と違うところです。ピーター・ブレギンはすべからず精神治療薬は諸悪の根源であると考えています。

統合失調症との誤診は何故多いのか-ある精神科医の告白

 国立精神・神経センターの松本俊彦という精神科医が、告白とも言い訳とも取れる興味深いことを精神科専門医のための専門書に書いています。以下引用します。

 「『幻聴=統合失調症』という思い込みに縛られている精神科医は少なくない。特にわが国の精神医学は、伝統的にドイツ精神医学にならって発展してきた歴史があり、精神科医にとって何よりも重要なのは統合失調症を見逃さないこととされてきた。そういった状況を岡野は、『私が臨床家として新人であった1980年代初頭の話であるが、潜在するschizophreniaをわずかな徴候からかぎ取ることは、むしろ臨床家としての熟練と慧眼を意味するものと考える風潮があった』と回顧をしている。しかし、筆者が精神科医となった90年代前半に至ってもなお、大学医局ではそのような指導が行われていたのである。したがって、『幻聴はその患者の診断が統合失調症であることの最大の証拠』と信じる、そそっかしい精神科医の量産は、むしろ当然のなりゆきであった。」

 「専門医のための精神科臨床リュミエール20 解離性障害」 
  中山書店 2009年

 誤診の結果「お門違い」の治療をされ、言い換えれば誤った薬を投与され、松本俊彦のような精神科医に巡り会う事もなく、統合失調症との診断のまま、一生薬害に苦しみ、精神科病院に閉じ込められている人々は今でも山ほどいることでしょう。精神科医は心が痛まないのでしょうか?誤診する精神科医が量産されているのは、とても過去だけのこととは思えません。
 
 解離性障害という言葉は英語のdissociative disorderの訳語と考えられます。DSMでもこの言葉は使われています。上記の本は200頁かそこらの長さの本ですが、執筆者は20名もいます。各執筆者が勝手に自説をのべていて、極めて抽象的で、哲学者が書いたもののように思える文もあります。体系的に解離性障害なるものを解説したものではありませんから、この本を全部読んでも解離性障害とは何かについて理解は深まらないでしょう。本当は発達障害なのに統合失調症と誤診されたと思っている人が「精神科セカンドオピニオン」の下に集う人達の中には多いのだと思いますが、発達障害が解離性障害に代わっただけです。解離性障害とは何なのかが曖昧なのです。真実1によって、精神科医は患者が心の中でどう思って、どう感じているかが判らないのですから、解離性障害という言葉は一見専門的な言葉のように聞こえますが、所詮は精神科医が患者の心の中を想像と憶測で論じているに過ぎません。

統合失調症の長期的転帰

 真実6の検証で紹介したアメリカ人ジャーナリストのロバート・ウイタカーの著書、「心の病の「流行」と精神科治療薬の真実」(原題:An Anatomy of Epidemic)の166~170頁にある「臨床家の誤解」と題する1節では、イリノイ大学医学部精神科の心理学者であるマーティン・ハローの研究論文が取り上げられています。15年間の追跡調査を行った結果、抗精神病薬を使用した統合失調症患者と比べて、抗精神病薬を服用していなかった統合失調症患者の方が回復率が大幅に高く、より良好な転帰を迎えていたとする内容の研究論文でした。

 その後、最近になって、追跡期間を15年から20年に延長した調査結果が新たに発表になりました。

 "Does treatment of schizophrenia with antipsychotic medications
 eliminate or reduce psychosis? A 20-year multi-follow-up study"

  M.Harrow, T.H. Jobe and R.N. Faull
  Department of Psychiatry, University of Illinois College of Medicine,
  Chicago, Il., USA

 
(題名の日本語訳)
 「統合失調症の抗精神病薬による治療はサイコーシスを消失させたり減じるか?
  20年間の多数回フォローアップ研究」
  M.ハロー、T.H.ジョーブ、R.N.フォール
  アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ、イリノイ大学医学部精神科

 15年で研究を終えずに、20年経ったところでもう一度統合失調症の患者を評価して、抗精神病薬服用群と非服用群を比べてみると、15年の時と同じで、抗精神病薬を服用していなかった患者群の方が、抗精神病薬を継続服用していた群と比べて、幻覚・妄想などのサイコーシスの発現率がずっと低く、転帰はずっと良好であったという結論でした。

私の経験

 私は15歳の時に心と行動に不調が現れました。小学校は5分で歩いて行ける、家の近くの公立校でしたが、中学・高校は家から遠く、電車で行かなくてはならない所にありました。通学には片道45分かかりました。小学校の時と比べて通学のストレスが高まりました。小学校の頃は、近所の遊び仲間が同じ学校にも居ましたから、リラックスした楽しい学校生活がおくれました。ところが進学して私立の中学校に入ると、同級生は皆、素性の知れない遠くに住む人ばかりでとても緊張して毎日を暮していたように思います。中学に入学してから2年ちょっと経って、中学3年生になったばかりの4月の初め頃に発症しました。幻覚・妄想はありませんでしたが、異常な観念にとらわれ体を動かすことができなくなりました。学校にも行けず、家でゴロゴロしていました。今思い出しても、何故そうなったのかはわかりません。またあの時の心の中の状態を言葉で説明して、他人に判ってもらうことは不可能です。今、DSMの診断基準に照らしてみると、統合失調症の範疇に入るものではなかったようです。しかし、若しその時に精神科に行っていたら、統合失調症と診断されていたことでしょう。

 親がとても心配しました。幸いなことに当時は、駅のそばですぐ行ける所にメンタル・クリニックがあるという状況ではありませんでした。また本格的な精神科病院に私を連れていくことは両親は躊躇したようです。そうこうする内に夏休みになり、家でのんびりと休息することができました。心の不調も癒えてきて、9月からはまた学校に行けるようになり、留年することもありませんでした。若しもあの時、両親が私を精神科に連れて行っていたら、その後の私の人生は全く別の方向に行っていたことと思います。


 私と対照的な人生を送ることになってしまったのが、15年間交際した私の婚約者、宏子さんです。彼女は15歳から18歳にかけて、倫理観のない、著名な作家である野坂昭如の性的餌食になってしまいました。まだいたいけな少女を自分の仕事場に招き入れて桃色遊戯の相手をさせていたのです。野坂は当時よくテレビに出演し、有名人でした。文学が好きで思春期が始まったばかりの宏子さんにとって野坂は魅力的な男性に思えたことと思います。その経験が宏子さんにPTSDとして残り、PTSDではよくみられるフラッシュ・バックとして彼女を悩ませました。これは彼女のつけていた当時の日記を見れば明白です。文学少女であった彼女は、精神分析医が主人公の三島由紀夫の「音楽」読んで、精神医学に興味を持ってしまいました。それで自分から数か所の精神科クリニックや精神科病院に足を運ぶようになってしまったのです。慈恵医大病院の精神科に行ったところ統合失調症と誤診されました。幻聴も幻覚もないのに拘わらず、彼女の話もよく聞かず、統合失調症と診断し、医師は本人に病名を告げませんでした。初めに行ったクリニックで、すでに向精神薬を処方されていたことでしょう。その向精神薬の副作用からくる精神症状をそれも精神疾患から来るとさらに誤診されました。それから30年間の精神科通いが続き、薬もだんだん増えて行き、最終的には、自殺によって生涯を終えることになってしまったのです。

 精神科に行かなかったおかげで、私は今まで生き延び、私の婚約者宏子さんは51歳で命を絶たれてしまいました。二人が出会ったという事に何か因縁めいたものを私は今、感じています。宏子さんの人生の経験、私の人生の経験があったからこそ、今、私はこのウェッブサイトを立ち上げ、原稿を書いています。世間に、世界に精神科の欺瞞性と、薬物治療の危険性を伝えなくてはならないという使命を私は天から与えられていると思っています。


当事者と家族の方々へ

 私の場合には中学3年の4月に発症し、夏休みを含んで9月の秋学期まで5か月間、精神科には行かず、従って薬は飲まず、じっくり家で休息することで回復しました。若しあの時に親があせって精神科に連れて行ったら、初診から薬を処方され、以降薬から抜け出せない、宏子さんと同じような不幸な人生を歩むことになっていたでしょう。

 自分の子供に異常な言動が現れたら、親としてはひどく心配するでしょう。パニック状態になるかも知れません。なんとかして治さなくてはならないと思って精神科に連れて行こうとする気持ちは大いに理解できます。でもそこに落とし穴があるのです。


 既に精神科の診療を受けてしまっている方の場合は事態はより複雑です。薬をすぐにやめてしまうのは大きな危険を伴います。薬をやめようとすると、好ましくない精神的、身体的有害症状が現れます。離脱症状、退薬症状、禁断症状と呼ばれる症状が現れますから断薬は容易ならざることです。特に薬を長く飲んでいればいるほど、薬の種類や量が多ければ多い程、薬をやめることは困難です。しかもそういった有害症状は、真実1真実2が正しいのですから、薬を飲んでいる本人しか判らないのです。薬を出した医師には何も判らないのです。徐々に、徐々に、大変な長い時間をかけて薬を減らしていくしかありません。今までの服薬期間、薬の種類と量ににもよりますが、薬をやめられるまでに、何年もかかることもあるでしょう。10年以上かかることも充分有り得ます。脳は薬によりダメージを受けたのです。脳の回復プロセスは浸透圧のように極めて緩慢なのです。

 真実6の検証で述べたアメリカのピーター・ブレギンのように患者の減薬や断薬を専門とする、信頼できる精神科医は、私の知る限り日本にはいません。精神科の治療薬に限らず、日本で患者向けに書かれた文献には、「減薬、断薬する場合には自己判断ではなく、医師と必ず相談して行う事」といった意味の文言がよく見受けられますが、相談したくても、精神科には、減薬・断薬について精通していて、減薬・断薬の手伝いをしてくれる、信頼できる医師が日本にはいないのです。また真実1真実2によって、薬を減らして行った時に患者がどんな身体的・精神的変化を感じるかを医師は判らないのです。

 簡単に薬は出すくせに、薬をどうやって減らしていくか、薬を何時になったらやめられるかの展望を持っていて、患者にアドバイスできる精神科医はいません。ただ漫然と薬を処方するだけで、「薬は一生飲むものだね」などと平気で患者に言っています。薬を出すからには、出した薬のやめ方も患者に伝えられなくてはいけません。医師としての良心、責任感、倫理観がありません。

 精神科医は患者の長期的な予後について何も知りません。病気が治れば、当然患者は外来診察にこなくなります。しかし逆に患者が診察に来なくなったからといって、患者は回復した訳ではありません。薬を出してもらうだけならどこに行っても同じだと思って、あるいは医師が嫌いになって、よその医療機関に鞍替えしたかも知れません。精神・身体症状が悪化して通院できない状態になったのかも知れません。様々な理由が考えられます。

 医師がまるで頼りにならない以上、また真実1真実2は不変の真実ですから、薬を減らしたり、やめるためには患者は自分と相談しながら、自分の心の声を聴きながらゆっくり、ゆっくり進めるしか手がありません。二歩前進一歩後退、三歩前進2歩後退でいいのです。減量努力中に、危ないなと思ったらまた元の服薬量に一時的に戻って、暫くして落ち着いたらまた減らす努力を続ける。断薬までは気の遠くなるような時間がかかりますが、忍耐強く進めるしかありません。。

 今は薬で安定しているように見えても、薬を長年飲んでいると、薬が肝臓の機能を低下させます。また加齢にともなって人間は誰でも肝機能が低下して行きます。ほとんどの薬が肝臓により代謝され、薬の成分は体外に排出されていくのですが、年をとってくると体は若い時のように薬を代謝できないのです。すると代謝できなかった薬の成分が体に残ります。薬の血中濃度が高まります。すると薬の副作用、有害反応が出易くなるのです。ほとんどの精神科医はそんな薬理学の初歩にさえ無頓着です。今は薬で安定しているように見えても、自分の長い人生を考えてみると
薬は結局患者を助けません。

          ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

   A patient cured is a patient lost.
  (治った患者は、失った患者)


          ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

次のページへ
前のページへ
トップページへ