精神科の真実       

     

                                

      真実1の検証

                

トップ 
 7つの真実
真実1の検証
 真実2の検証
 真実3の検証
 真実4の検証
 真実5 の検証
 真実6の検証
 真実7の検証
統合失調症 
うつ病
ベンゾジアゼピン
死にたくなる薬
 自殺の真相
人類史上最大の薬害
私の医療裁判
エピローグ
 このサイトについて
読者のコメント


































































































  

























  














































































































































(注)エモリー大学精神科
 チャールズ・B・ネメロフ(Charles B. Nemeroff)という同大学精神科の医師(当時)が2000年から2007年の間に280万ドル(約3億円)以上をコンサルタント料としてGSK社(グラクソ・スミス・クライン)やその他の製薬会社から受け取っていたことが、連邦議会の調査で判明したとニューヨーク・タイムズ紙が報じています(2008年10月3日)。

Charles Nemeroff
Wikipedia英語版


(注)トマス・インセル
2015年11月をもってインセルはNIMHの所長を辞任しました。症状だけを基準にするDSMよりも優れた診断方法を作ると大風呂敷を広げましたが、結局は始めたばかりで匙を投げたことになります。NIMH辞職後、Google(Alphabet)の子会社に勤務しているそうです。

辞任について語る本人のブログ記事(英文のみ)

Googleでの抱負を語るインセルのインタビュー記事
MIT Technology Review(英文のみ)


(注)インセルの後任
退任したインセルの後任にはコロンビア大学メディカル・センターの助教授ジョシュア・ゴードン(Joshua Gordon)が2016年9月に就任するとの発表がありました。彼はマウスの脳の研究の専門家とのことですが、動物の脳を生物学的に調べても人間の脳のことは結局判りません。













  目次
 
 真実1   精神科医といえども患者の心の中を見通し、患者の心の中の状態を知ることはできな
    間違った思い込み1
精神科医は専門的な訓練を受けているので、患者の心の中を見通し、患者の心の状態を知ることができる

患者の心、医者知らず


 精神疾患もなく、精神科にかかった経験のないある中年の女性がこう言っていました。「たまたま何かの機会に、精神科医がそばにいると落ち着かないわ。心の中を見透かされているようで」  これが一般人のよくある感覚でしょう。精神科医は人の心の中をのぞき込むことができるのではと誤って思い込んでいるのです。心が不調になったら精神科医の所に行って診て貰えば、精神科医が心の中を診察して、適切な治療を施してくれるとほとんどの人が思い込んでいるのです。そう思って、精神科の診察室に足を踏み入れた時から人生の悲劇が始まります。

 実は精神科医といえども人の心の中をのぞき見ることはできないのです。精神科医も精神科医でない普通の人も全く同じです。神様ではありませんので、人の心の中の状態などなにもうかがい知ることはできないのです。自分のことを考えて見ればよくわかります。他人があなたの心の中のことをわかっていると思いますか? 生まれてから現在に至るまでの自分の全経験から判断して、自分の心の中のことを本当に知っているのは自分だけであって、自分以外の人には自分の心の中は絶対にわからないとあなたは思っていますね。それがゆるぎない真実です。フランスの哲学者のルネ・デカルトが言ったという有名な文句があります。「われ思う、故にわれ有り」。自分の心や内面の本当の姿を知っているのは自分しかいません。

 日本のユング派心理学の第一人者といわれ、京都大学の教授だった故河合隼雄はある著作の冒頭でこう述べています。「一般の予想とは反対に私は人の心などわかるはずがないと思っている。」 河合隼雄は晩年、文化庁長官まで務めて、人生で功なり名を遂げた人物でした。誰に臆するところもなく、虚勢を張ることもなく、臨床心理学者として本音を正直に述べたのでしょう。しかし河合隼雄に言われるのを待つまでもなく、これは私達人間、皆経験上知っていることです。

        「こころの処方箋」 河合隼雄 著、新潮文庫 平成10年初版 

 
 内科系でも外科系でも精神科以外の医学の他の診療科であれば病気を診断するための客観的で科学的な方法がいくつもあります。簡単なものでは体温計や血圧計を使って患者の体温や血圧を数値で知る事ができます。血液や尿を採取してその各種成分の量を測定することができます。これも数値で表せます。また心電図、超音波(エコー)、内視鏡、X線、CTスキャン、MRI, といった技術を使えば画像によって病態を客観的に観察する事ができます。

 ところが精神科はどうでしょうか?そんな客観的、科学的な指標はなにもありません。現代の医療技術が何もなかった何百年も前の医学暗黒時代と精神科は今でもあまり変わらないのです。精神科だけは医学の進歩に遅れをとってしまいました。さらに言えば、精神科を医学の中に含めること自体が誤解を呼ぶものです。精神科でも脳のCTやMRIやその他の最新画像技術を使って、脳の中の状態を調べようとの試みはありますが、まだまだ技術は原始的なレベルで、とてもそれを使って精神疾患の診断や治療をするような段階に達していません。また、血液中の成分を分析して、精神疾患の診断に使おうという動きもありますが、血液検査だけで精神疾患の確定診断ができる程人間の脳は単純ではありません。

 メディアの報道を見たり聞いたりしていると、現代では脳科学が発達してきたので、精神疾患の診断も最新技術を使って客観的かつ科学的にできるのではないかと素人は錯覚してしまいますが、そんなことはありません。人間の脳は想像を絶するほどに複雑であって、脳波をとったり、CTやMRIの画像を見たり、血液検査をしたところで、所詮、詳しい正確なことは何もわからないのです。ですからそんな技術を臨床で使って確定診断をやっている精神科は今、世界中どこにもありません。大学病院や研究施設で研究目的のために一部そういった技術を試しているに過ぎません。精神科医が患者を診断するのに使える客観的科学的方法などなにも存在しないのです。

 患者がわずらっている心の異常(精神疾患または精神障害)と同じ心の異常を、患者を診察している精神科医は自分では普通経験したことがありません。(中にはうつ病の経験のある精神科医くらいは一部いるかも知れませんが) 従って精神科医にも患者の心の中がどうなっているのか、患者は心の中で何を感じているか実は何もわからないのです。

 精神科医が知ることができるのは患者の脳や心の中の状態ではなく、外に現れた患者の姿のみです。素振り、仕草、顔の表情等は第三者が誰でも見ることができます。しかしそれだけでは情報が極めて限られていて正確な事は何もわかりません。また精神科医は問診によって、患者が言葉で心の中の状態を説明するのを聞きますが、心の中の状態や心の中で感じている事を、限られた診察時間内に、すべて言葉で表現し、説明するのは不可能なのです。世の中には言葉では言い表せないことが山ほどあります。

 言葉によるコミュニケーションが成り立つのは、あくまでも話し手と聞き手が同じ経験や類似の経験をしていて、相手がAと言ったら何のこと、Bと言ったら何のことと言う風に、互いに経験に基づく共通の理解があって初めて成り立つのです。AとかBとかいう言葉はしょせん符帳に過ぎないのです。それぞれの符帳が何を意味するかが互いにわかっていないと会話は成り立ちません。

 精神科にかかった経験のある人は、真実1に気が付いている人が多いと思います。しかし一方ではまた、精神科にかかっていても、何ら疑うこともなく、単純に精神科医は自分の心の中をわかっていると思い込んで真実1に気が付いていない人も多いのかも知れません。ましてや、精神科などににかかった経験のない人の場合には、真実1に気付かず、なかなか誤った思い込み1から抜け出せないのです。そういった人は、家族とか友人とかで精神科にかかった経験のある人が身近にいる場合には、その人に尋ねてみてください。あなたの精神科医は、あなたの心の中がどういう状態にあるかわかっていると思いますかと聞いてみればいいのです。「わかっていないと思います」という答えが普通返って来るはずです。
 

 山口大学教授でしたが、大学を退官した後、1982年に山口市内で精神科クリニックを開設し、患者を診てきた柴田二郎という名の精神科医が、彼の書いた本の中で真実1をうまく言い当てて説明しています。精神疾患を彼は色弱(色盲)に例えています。色弱の人にとって世界がどう見えるかは、色弱でない、色神正常の人間には想像もつかないことであると柴田は言っています。


  「精神科クリニック物語 - 精神科医療への疑問」 柴田二郎 著
                                  中央公論社 1993年


 私が2年ほど診察を受けていた精神科クリニックのある精神科医がいます。東京大学医学部を卒業して、数か所の一流病院で勤務医をした後、独立開業したベテラン精神科医です。診察室での彼と私の二人っきりの会話の時に、彼が本音を語ってくれました。「患者の心の中はブラック・ボックスで外からは見えないからね」 彼は何冊も本を書いていますし、論文もいくつもあります。でもそういった著作物や公の場では「心の中はブラック・ボックスで中は判らない」などとは彼は絶対に言わないでしょう。 精神科医は人の心の中を見通せると世間に思い込ませておいた方が、職業遂行上、都合がいいからです。     



詐病
(さびょう)

 日常あまり使わない言葉ですが、詐病(さびょう)いう言葉があります。「詐」という漢字は詐欺(さぎ)という言葉の「詐」と同じ漢字です。漢和辞典には「いつわり」とか「うそ」という意味を持つ字であると書いてあります。日常会話で普段使う言葉では仮病(けびょう)です。 

 精神科医を騙してうつ病の診断書を書いてもらい、社会保険事務局から健康保険の傷病手当金をだまし取ったという罪で、詐欺グループが警察に逮捕されました。なかなかの知能犯といえるでしょう。犯人一味は真実1を見抜いていて、その洞察をうまく利用して詐欺を実行したことになります。精神科の診断がいかにいい加減で、彼らが人間の心の中をいかに見抜くことができないかを示す模範的で痛快な例です。
 精神科以外の診療科であれば、例えば一般内科医のところに患者が来て、「先生、胃が痛いのです。食欲もありません。体重が5キロも減りました。私は胃ガンではないでしょうか?」と患者が訴えれば、内科医はまず血液検査、レントゲンやCT検査、場合によっては内視鏡による検査を指示するでことでしょう。決して患者の訴えをちょっと聞いただけで、「あなたは胃がんです」と診断したりしません。

 ところが精神科医の場合はどうでしょうか?この事件についての読売新聞の報道によると、この精神科医は15分だけ患者を診て話を聞いただけで、うつ病と診断を下し、しかも副作用のことなどお構いなく、向精神薬(精神安定剤や睡眠薬)の処方を始めたのです。上記のガンを心配して来た患者に15分の問診をしただけで胃がんと診断し、副作用の多い抗がん剤の投薬を始めたとしたら世間は大騒ぎするでしょう。ところが精神科医はそんな無謀なことをやっているのに、世間のほとんどの人がその愚かさと危険さに気がついていません。

    読売新聞 朝刊 2009年3月18日       


総理大臣もうつ病にされた

 2007年9月12日に時の総理大臣安倍晋三が突然、辞任を表明して、世間を驚かせました。総理になってからほぼ一年、臨時国会での所信表明演説のわずか2日後での辞任発表であり、一体彼に何が起こったのか世間の関心を呼びました。辞任の理由は政局上の問題に加えて、健康不安があったと、後の記者会見でも安倍本人が述べています。辞任後すぐに慶応大学病院に入院しています。

 どんな健康問題を抱えていたかは、後になって、2008年2月号の文芸春秋に、安倍晋三が自ら書いた記事を寄稿しています。その記事によると、安倍は17歳の頃から潰瘍性大腸炎という持病を持っていたようです。下痢が多く、頻繁に便意をもよおすため、一日に何度もトイレに行かなくてはなりません。サミット会議などでの外国首脳との晩さん会を始め、公式の行事が目白押しで、そうしょっちゅうトイレに行くたびに退座することは許されないでしょう。総理としての重責、激務、緊張感などが身体的、精神的に負担になり、体調不良を悪化させたことは十分予想できます。政治家の中には世間の追求から逃れるために、仮病を使って病院に入院して、世間から雲隠れすることが時々あるようですが、安倍、自らが書いた、この文芸春秋の記事を見る限り、彼の病気は本物であったように思えます。

      文芸春秋 2008年2月号 「わが告白 総理辞任の真相」 安倍晋三  著 


 さて安倍晋三のこの総理辞任にからむ騒動について、一人の精神科医が興味ある発言をしています。
テレビやその他のメディアに時々登場して世間の知名度も高い、精神科医の和田秀樹が2008年2月5日にある新書判の本を出しました。本の名は『精神科医は信用できるか - 「心のかかりつけ医」の見つけ方』というものでした。この本の序章に入ってまもなくの所に、以下の題の2つの節を和田は書いています。<なぜ安倍前首相は「最悪のタイミング」で辞任したのか> <安倍首相がうつ病だったと考える根拠>。 安倍首相が辞任したのは「健康上の理由」からであると世間には公表しているが、安倍首相は実はうつ病で職務遂行が困難になり、それでやむを得ず辞任したのだというのが和田の説です。


 「もし日頃から精神科医がついていて、うつ病の診断を下していれば、もっと早く(つまり所信表明演説の前に)ドクターストップをかけるか、あるいは投薬によって何とか国会の会期末ぐらいまでは乗り切らせることができただろう」と和田はここで書いています。


 安倍首相がうつ病であったと考える根拠としては、まず「認知構造の変化」が安倍に現われたと和田は言っています。政局が混迷しているのは「自分が悪い」という考えに安倍が陥ったのは、うつ病による「認知構造の変化」によるものであった可能性が高いと和田は指摘します。次に和田はこう言っています。「食事が取れず、点滴とおかゆでしのいでいたというのも、うつ病によるものだった可能性がある。表向きは「機能性胃腸障害」とされているが、うつ病でも同じような症状が出ることは珍しくない」


 さらに和田は続けます。「先ほど述べたアメリカ精神医学会のDSMでも、うつ病の診断基準の一つとして「著しい体重減少」が挙げられている。そして安倍氏は、辞任発表の前後には体重が5キロ減ったと発表されていた。胃腸が弱いこと自体は以前からいわれていたから、この急激な体重減はうつ病によるものだと考えるのが妥当だ」

 DSMの9つあるうつ病の診断基準の内、「抑うつ気分」と「興味、喜びの著しい減退」の症状を安倍は現わしていたと和田は言っています。この本にはこうも書いてあります。「所信表明の前後は悲痛な表情で涙目になっていたことが多かったし、髪の毛に寝ぐせをつけたままテレビカメラの前にでてきたこともあった。直前までソファで寝ていたという報道が事実なら、夜も眠れない状態であったと推察することができる。いずれにしても、あのころの安倍氏は明らかに仕事に対する意欲や気力を失っているように見えた。うつ病による精神運動の制止が起こると、いくら周囲の人に「頑張れ」といわれても頑張ることできない。よくいわれるように、体温は平熱なのに40度の発熱をしているときのような倦怠感を覚えるのが、うつ病だ」

    『精神科医は信用できるか - 「心のかかりつけ医の見つけ方』 著 和田秀樹                                                                           2008年2月5日 初版第1刷発行

 安倍元首相の投稿記事は文芸春秋の2008年2月号に出ています。文芸春秋のような月刊誌は2月号といっても、実際に発売されて書店に並ぶのは一カ月前です。和田秀樹の本は奥書には2月5日発行と書いてありますが、和田がこの本の原稿を書き終えて出版社に渡したのはそれよりもずっと前のはずです。つまり和田はこの本を書いた時には、安倍元首相の文芸春秋に出た投稿記事を読んでいなかったと推定できます。

 政治家の言っていることですから多少脚色されているということがあったにしても、安倍元首相が自ら書いた原稿の中で自ら言っていることです。こんなことを白状するのは政治家として勇気のいることだったのでしょう。また突然辞任についての世間の批判をかわしたいという動機も働いていたとしても、彼が若い頃から潰瘍性大腸炎で悩まされてきたことは信じられそうです。この身体的な疾患が、一国の首相という重責を負い、困難な政局を迎えていた安倍のストレスをさらに増強することになっただろうたことは容易に想像できます。単にストレスから来たと思われる、外見に現れた表情だけを見て、安倍はうつ病であったとするのはあまりにも性急で的外れな判定です。

 その後、安倍は2012年12月に再び内閣総理大臣に就任、以来今日に至るまで元気溌剌と公務をこなしており、安倍がうつ病であったとはとても思えません。テレビに映る安倍の姿を見ただけで、和田は安倍をうつ病と診断したことになりますが、総理大臣ともなればメディアへの露出は極めて多く、ニュースで一回につき1~2分画面に出るだけでだとしても、毎回安倍がテレビに出た時間を合計すれば相当な時間になります。和田は合計すればかなり長時間安倍を観察していたことになります。にも拘わらず和田は安倍はうつ病であると誤診したのです。日本では初診に精神科医がかける時間は患者一人当たり通常30分前後です。わずか30分診ただけで診断を下し、しかも薬まで初診の段階で処方してしまうことが多いのです。誤診だけならまだラベルの付け間違いで患者にとって害は少ないのですが、、誤診に基づいて薬剤投与があった場合には、病気に合っていない薬を患者は飲まされることになります。精神科の薬には副作用がつきものですし、依存性という問題もしばらく薬を服用していると出てきます。薬を止めようと思っても離脱症状があるので、薬をやめられなくなってしまうのです。患者にとって何たる悲劇でしょうか。


ローゼンハンの実験

 神科の診断について疑問を投げかけるような、興味ある実験が1972年にアメリカで行われました。この実験の結果を記述した論文が1973年1月にサイエンスという著名なアメリカの科学雑誌に掲載されました。論文名は“On Being Sane in Insane Places”(「狂気の場に於ける正気について」)です。論文の著者はスタンフォード大学の心理学教授であったデービッド・ローゼンハンです。この実験はアメリカでは精神科医や精神医療に関心を持つ人の間ではよく知られた実験です。

精神障害などは何もない健康なローゼンハンと8人の共同研究者が、12の精神病院を訪れ、あらかじめ打ち合わせておいたように、幻聴があると訴えます。幻聴に出て来る声の主は自分と同性であること以外には誰であるか判りませんが、誰かの声でお前は「空虚」であるとか、「空っぽ」の人間であるなどと言っている(当然、英語でですが)とニセ患者は診察に当たった医師に伝えます。それ以外には精神の異常を匂わせるような言動や素振りは何も見せません。ところが8人全員が精神障害があるとしてこれら精神病院に入院させられ、抗精神病薬を投与されたということでした。12の病院での診断名は11件が精神分裂病、1件が躁うつ病性精神病というものでした。

アメリカでDSM-III(精神障害の診断・統計マニュアル)が出版されたのは1980年ですが,1973年1月にサイエンス誌に発表されたこのローゼンハンの論文はDSMの改訂作業にも少なからぬ影響を与えたと考えられます。


                  「ローゼンハン実験」 ウキペディア(Wikipedia) 日本語判

                  ”Rosenhan Experiment" Wikipedia 英語判

                  Wikipedia英語判の日本語訳

                  
 サイエンス誌に掲載された元の論文"On Being Sane in Insane Places" は例えば以下のリンクで読むことができます。
 (2014年11月1日現在)
            
      
      Santa Clara Law Review
 (Santa ClaraUniversity School of Law) 
      http://digitalcommons.law.scu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2384&context=lawreview

 "on being sane in insane places”と検索語を入れてGoogleで検索してみると、この論文のpdfファイルがネット上でいくつも見つかります。また"rosenhan"という検索語を使っても様々なウエッブページが現れます。この問題についての海外での関心の高さを伺わせます。

精神科の診断

 真実1(精神科医といえども患者の心の中を見通し、患者の心の中の状態を知ることはできない)は何人も疑うことのできない、いわば宇宙普遍の真理であると言えます。患者の心の中は見えないのに、精神科医はどうやって患者を診て、患者の心の中の状態について診断を下しているのでしょうか?精神科医にとって診断の手がかりとなる情報は以下の3つしかありません。

1.患者本人が、言葉を使って、自分の心の中の状態について話すその内容。

2.外見とか挙動といった、外に現れて他人が感得できる患者の姿。

3.家族や、寝起きを共にするような患者と親しい関係にある人の、言葉による患者についての陳述。                     

 1について言えば、自分の心の中の状態を言葉で説明して聞き手である他人に正確に理解してもらうことは極めて困難です。言葉は万能ではありません。言葉だけでは説明できないことが世の中にはたくさんあります。ましてや心の中の状態を言葉を使って充分に説明することは不可能といってもいいでしょう。また言葉に加えてジェスチャーや、絵にかいて見せたところで、患者の心の中で起こっていることを充分に表現することはできません。さらには、寡黙の人、口下手で話すことが苦手な人、自分の心の中のことなど恥ずかしくて他人にはしゃべりたくないといった患者もいるでしょう。精神科医が患者と面接して、患者の言葉から聞き取ることのできる情報は極めて限られているのです。

 2についても、外見だけで人物を判断してはいけないとは良識のある人がよく言う経験知です。「表紙で本の中身を判断してはいけない」とは欧米人がよく使う常套句です。前述の精神科医の和田秀樹が安倍首相のテレビに映った様子を見て、「所信表明の前後は悲痛な表情で涙目になっていたことが多かったし、髪の毛に寝ぐせをつけたままテレビカメラの前にでてきたこともあった。直前までソファで寝ていたという報道が事実なら、夜も眠れない状態であったと推察することができる。」と語り、それを安倍がうつ病であったと診断する根拠の一つとしています。これは和田が和田の頭の中で想像している安倍の姿であって、実際に安倍の心がその時どういう状態にあったか安倍以外の人には知る由がありません。この和田-安倍の例は実際の精神科診察室での話ではありませんが、実際の精神科診察室でも同じようなことが日常茶飯事として起きているのです。

 3.について言えば、患者本人が自分の心の中のことを言葉を使って充分説明できないのであれば、いくら親しい人でも患者の心の中のことを言葉で説明できないのは自明のことです。患者と寝食を共にする人の場合には、外に現れた患者の言動や挙動をその人なりの言葉で語っているだけのことです。


 

DSM

 精神科医が患者を診断する時に参照するマニュアルにDSM (Diagnostic Stastical Manual)と呼ばれる本があります。これはアメリカ精神医学会 (American Psychiatric Association - APA)が、精神障害の分野ごとに作業部会を作り、作業部会単位で多くの会員精神科医が意見を述べ合い、コンセンサスをもとに作成したとされています。第二次大戦後の1952年にDSMの第1版とでも呼べるものが作られて以来、その後何度か判が改定され、最新の判はDSM-5(第5判)です。DSM-5はアメリカでは2013年5月に発行されています。翻訳作業に時間がかかったと思われますが、日本語訳はその約1年後に「DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル」という題で2014年6月に出版されています

 真実1はゆるぎない普遍の真理ですから、精神科医が対象として扱えるものは患者の外に表われた症状
しかないのは自明のことです。この場合、症状とは、精神科医が自分の目や耳で観察した患者の外に現れた姿や言動と、患者や家族が言葉を使って精神科医に伝えた患者の症状です。DSMはそういった各種症状を整理整頓して分類し、種類ごとに名前(障害名、疾患名)をつけてまとめたものということになります。大事なことは、DSMは、あくまでも外に現れて観察可能な症状を寄せ集め、それを分類し、書き記したもの以外のなにものでもないということです。

 アメリカ連邦政府の機関にNational Institute of Mental Health - NIMH (邦訳:国立精神衛生研究所)という組織があります。National Institutes of Health - NIH (邦訳名:国立衛生研究所)に所属する研究所の一つです。NIHは健康・医療の分野では、アメリカ国内のみならず、世界的にも有名で、権威のある連邦政府機関と考えられています。余談ですが、日本でもアメリカのNIHをまねて国立研究開発法人「日本医療研究開発機構(AMED)という名前の組織が2015年に設立されましたが規模からいってもNIHとは雲泥の差があります(朝日新聞2016年1月13日朝刊)。NIMHのDirector(所長)には精神科医として高く評価されている人物が代々任命されます。NIMHのDirectorはアメリカのトップ精神科医と考えられます。

 最近までそのNIMHの所長 (Director)であったトマス・インセル(Thomas Insel)が、DSM-5が発表される約1ヵ月前の2013年4月29日付の彼のブログで DSMについて注目に値することを言っています。インセルは所長になる前は、(注)エモリー大学精神科教授でした。以下にその一節を引用します。

 「これは医学の他の分野において、胸の痛みの種類や熱の特徴に基づいて診断システムを作るのと同じようなものだ。医学の他の分野では、症状に基づく診断が、過去においては一般的な時代もあったが、症状だけでは、どんな治療が最善かの選択はできないということを私たちは知って、症状に基づく診断は、 過去半世紀の間にほとんど廃絶された。」

                                                        NIMH Director's Blog: Transforming Diagnosis

                          NIMHディレクターのブログ:診断の改革(日本語訳


                    ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

       
でもインセル先生、精神科には体温計すらないんですよ!

                ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


 DSMは、外に現れた症状を分類し、各範疇ごとに細かく疾患名をつけただけのものです。「統計」という言葉が表題に入っていますが、症状を同定し、分類する時に統計学を使って合理的・科学的に分類したという訳ではなさそうです。統計というからには、どこかで情報処理のために数字が使われていないのは変です。APAは症状の分類の作業プロセスを外部に公表していません。「統計」という言葉を表題に入れることによって、一見科学的に編纂されたという印象を与えようとしているのかも知れません。唯一数字が使われている箇所は、疾患名に割り当てられたコードにおいてです。しかしこれは、精神疾患に関する政府機関や研究機関、さらには健康保険の記録管理等に便を与えるにすぎません。

 DSMはもともとアメリカ国内で用いることを前提に、アメリカ国内での症例をベースに作られたものですが、日本やその他多くの国々でもDSMを援用しています。さらには国際連合の付属機関である、WHO(World Health Organization) - 世界保健機構の国際疾病分類(International  Classification of Diseases - ICD)の中の精神疾患の部分がDSMと整合性が取れるように編集されています。ICDの最新版はICD-10(第10判)ですが、DSM-5が出たため、それに合わせてICD-11を作るための改定作業が今行われているようです。日本の厚生労働省もICDが世界標準と考えて、ICDを公式には拠り所としています。

 DSMにしてもICDにしても、患者の外に現れた症状を分類したにすぎません。アメリカのNIMHの所長であるインセルがいうごとく、胸の痛み、熱といった症状だけをとらえて、患者に病名をつけて、その病名を頼りに患者に薬を処方しているのです。未開社会や古代の呪術師と余り変わりません。薬を処方するからには、前提として患者の脳内で何か好ましからざる生物学的変化が起こったという考えで、その好ましからざる生物学的変化を是正するために、薬を患者に飲ませているわけですが、その好ましからざる生物学的変化についての理論はすべて仮説であって、確証のないものばかりです。生物学的変化に基づいて精神疾患を分類することができないのです。例えば統合失調症は脳内の神経伝達物質であるドーパミンが過剰に働き過ぎるために統合失調症の症状である幻覚や妄想が現れるというのも仮説にしかすぎません。ドーパミン受容体を遮断し、ドーパミンの働きを抑えてくれるはずの抗精神病薬を投与しても症状がおさまらないケースが全体の何割もあるのです。ある薬を投与して症状がおさまらなければ、また加えて次の薬を投与する。日本の精神科は多剤大量療法で有名ですが、こういった事情が裏にはあるのです。

 また症状と言っても、ある現象を精神疾患の症状と捉えるか、それとも正常人の見せる正常な反応の一種であるかという判断はかなり主観的なものです。正常が異常かの違いは紙一重の場合があります。何が正常で、何が異常かは簡単には見分けられない場合が多いのです。精神科医の間にも判断の違いが出てきて当然でしょう。

 精神科医と精神科医の間で判断の違い、すなわち診断の違いが出てきては困る。そんなことになれば精神科の信憑性が揺らぐ。それではまずいということでDSMのような診断マニュアルを作って、精神科医間で診断のバラツキやゆらぎをなくそうとしたのです。前述したローゼンハンの実験はDSMの改訂判作成の少なからぬ刺激になったはずです。

 DSMのような診断マニュアルは精神治療薬を開発し、それを臨床の場で使う場合にも大きな意味を持ちます。新薬の承認のための臨床試験の被験者となる患者群は同じ診断名をもらっている必要があります。被験者は皆、DSMの基準に従って診断すれば同じ精神疾患を持つことを製薬会社は審査する側に対して申し立てる必要があります。また新薬を健康保険適応にしてもらうためには、どの疾患に効く薬なのかを製薬会社は明確にする必要があります。

 日本の精神科医の中にはDSMを馬鹿にするような事を言う人がいます。 「DSMなどはマクドナルド・ハンバーガー店の店員マニュアルのようなもので、あんなものでは精神疾患の診断はできない」と主張するある精神科医に会ったことがあります。DSMなどとは違った、自分は自分なりのもっと良い診断基準を持っているとでも言いたそうな気配ですが、これは空威張り、虚勢です。少なくとも、DSMは曲がりなりにも極めて多数の精神科医の意見の一致に基づいて作られています。DSMを馬鹿にするこの精神科医はDSMの代わりにそれではどんな診断基準を持っているのでしょうか。その自分ながらの診断基準を記述して、他の人にもわかるようにしてくれますか、とこの精神科医にいったら答えはタジタジでしょう。極めて主観性の強い、感覚だけに頼ったような、合理性、客観性のない診断基準しかこういった精神科医はもっていないはずです。DSMは症状を分類したものです。真実1が正しいからこそ、患者の心の中を見ようとはせずに、外に現れた症状のみで分類をしているのです。ところがDSMを馬鹿にしているこの精神科医は、自分の感覚や感性を使えば患者の心の中はわかると言い張っているようなものなのです。

次のページへ
前のページへ戻る
トップページへ